gate

「そこにいる」「そこにいない」

佐藤時啓氏の展示をみに行きました。 入口の最初に展示してある「Broccoll」を前に、 私は瞬時に私の愛する伊藤高志を思い出しました。
そこに在るはずの肉体のカタマリが消え失せ、 光としての現象のみが残るそれらの作品は、 存在をひとつにすることで限定されるのを避け、 しかし作者本人が写真の中で「行為」していることを とても強く感じさせるものでした。
佐藤時啓氏は写真を 「時として分断されがちな私の観念と感覚の間を取り持つ通訳のようでもある」 と表現しています。 一見すると単に対立し合っているように見えるもの 「そこにいる」「そこにいない」という事象を 光のみが残る写真を目の前に 行為としての枠組みの中から外して捉えた時、 両者の間に横たわるギャップが埋まり、 じつは同じ現象の両端にあるものにしか過ぎないということを 私たちは彼の写真をとおして知ることができます。 すなわち「そこにいる」からこそ「そこにいない」のであり、 「そこにいない」からこそ「そこにいる」のだということを知るのです。 天と地、表と裏、光と闇、生と死、昼と夜といった 二項対立を乗り越える 原初・起源の次元を導入する神話の論理にも似た、 「色相是空」の「空」の世界がそこには広がっています。
「Light Panels」から「City Scape」へ移動した直後、 偶然にも学生たちを引き連れた佐藤時啓氏がやって来たのですが、 その容姿が伊藤高志にとてもよく似ていて、 わたしはその偶然と必然に幸福に満たされた気持ちになりました。